ゆう和の足長おじさん

長文失礼します。

5~6か月に一度、玄関にたくさんのオムツが届く。

ゆう和が始まったばかりの事、施設で亡くなったおじいちゃんの息子さんからだ。

私が24歳の時、目黒で一軒家を借り宅老所をやっていました。

もう23年も前です。

当時は医療法人に居て、理事長先生から「やれ」とある日突然言われて始めた宅老所。

まだ措置の時代にあちこちで断られた方や医療法人職員が信用で任せてもらった利用者さんが泊まっていました。

ソーシャルワーカーから

本人→うつ病(自殺未遂あり)・糖尿病(インシュリン注あり)

奥さん→死別

長女→障害者

次女→障害者

長男→働きながら他3人家族の面倒をみている

だけどお父さんがまた自殺未遂した、近隣施設は全て断られ、八王子の病院だけ受入可。

八王子に行ったら、娘さんは距離的に2度と会えないどうにかして。

と依頼。

若い私は息子さんへ「このようなケースをみたことがない。精一杯やるのは約束するが、良い結果にならない可能性もある。それでも目黒が良いか?」と伝えると、即答でOK。

お爺ちゃんは毎朝8時になると自分の荷物を全てゴミ袋へ入れて「お世話になりました~」と目黒の碑文谷にある宅老所から目黒の中根にある自宅まで歩いて行きます。

4~5時間真夏の炎天下の中を2人でウロウロ歩き、自宅に何とか到着すると玄関と庭窓の施錠を確認、「あ~誰もいないのか~」と宅老所へ帰るを3ヶ月位繰り返し2人で日焼けし真っ黒になっていました。

なつかし~な~。若いなぁ~。でもあの体験が20代であったから、認知症に付き合えるようになったかなぁ。

3ヶ月後ある日突然、おじいちゃんは朝出て行くのを自ら止めました。

その後は毎朝私とデイの送迎をハイエースの助手席で行っていました。

インシュリンあるけど、鬱で拒食があるおじいちゃん。

今みたいに良い経口飲薬はなく、低血糖にならないようにどうしようか?悩んだなぁ~。

最後は朝食のトーストを喉に詰まらせ、亡くなりました。

それから息子さんは障害者の娘さんが使いきらなかったオムツを持ってきてくれます。

お父さんが亡くなったのは平成18~19年。

もう17~18年届続けてくれています。

職員が引き留めても、絶対すぐに帰ってしまう。

恩にきせないのも素敵だな~。

私もそんなオジサンになっていきたいな。

意外と身近にカッコイイ人っているよね。



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