ある(いる)ということ
1年以上前に「看とり」宣告を医師から受けた利用者さん。
看取りは医学的に概ね6か月以内に・・・との内容ですが、日に日に元気になり水分量も増え、いつも行かれていた地域の夏祭りへご家族と参加されました。
昔馴染みの方々と再開されたそう。
子供や高齢者へ関わっていると、とても感じる事がある。
ある(いる)ということ。
する、何かしないと認めないのではなく、ある(いる)ことをまず認めていくこと。
このおじいちゃんが祭りに参加するために、家族が複数人集まり、お祭りで近所の方が集まり、うちの職員が送迎し、人を沢山動かせる力がある。
人が動けばそこにお金の動きもできる。
ある(いる)を認められると母親のような絶対的肯定感に包まれ、心穏やかに過ごせるような気がする。
きっとそれは認知症になっても同じ。
皆様はどう感じますか?
※「ある」と「する」という表現は芹沢俊介さんの「母という暴力」「ついていく父親」という本から表現をお借りしました。芹沢さんは今年お亡くなりになられています。ご冥福をお祈りいたします。
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